ロシア映画『12人の怒れる男』と裁判員制度

ミハルコフ監督の示唆するもの

裁判員制度に対する異論・反論がくすぶっている、と新聞が報じています。くすぶっているどころか、反対する人たちからは「違憲の疑い」とまで言われ、このままスムーズに5月開始とはいかないのではと思えます。

反対の理由はわかります。私自身ついこの間まで同じように思っていました。冤罪を多く生むことになる、素人には重責かつ負担が重すぎる、人を裁きたくない、必ずしも自分の意見が通らない、死刑制度に反対だから…。

でも昨年、弁護士の四宮啓さんを講師にお呼びした9月12月の学習会に参加して考えが変わりました。詳しくは別の機会に書こうと思いますが、市民の一人として司法に積極的にかかわろうと思うようになりました。

ところで四宮さんのお話で触れていたロシア映画『12人の怒れる男』を下高井戸のミニシアターでみることができました。

ヘンリー・フォンダ主演の往年の米国映画のリメーク版です。名作の誉れ高い米国版シドニー・ルメット作品ですが、このロシア版も力の入った重厚なつくりで決して見劣りしません。

少年の父親殺しという事件をめぐって、12人の陪審員による審理でひとりだけが異を唱えたことから事件の真実に迫っていく、二転三転する過程をへて全員が無罪と判定するまでの密室劇というプロットはまったく同じ。でありながら現代のロシアが抱える社会問題がいくつも提示されます。

この映画の見方はいろいろあると思いますが、裁判員制度との関連で考えさせられたのは、人は議論を重ねることでものの見方が変わることと、審理するなかで自分の人生観や生き方、性格などが如実に表れる、つまり裁判に参加することは自分と向き合うこと、というふたつの点です。

映画は12人それぞれの描き分けが見事で、それがドラマを際立たせ、各人の変化が総体として被告人を無罪に導いていったのが印象的でした。地に足をつけて生活している人の判断を信頼してもよいのでは、とニキータ・ミハルコフ監督は示唆しているように思いました。