この映画で重要な役割を果たすのは、家族が撮りためていたホームビデオです。自閉症と診断される前のサビーヌの、愛らしく才能豊かな少女だった映像がこの映画の随所にちりばめられています。湖で泳いだり、踊ったり、ピアノでバッハを弾いたり。はじけるように笑い、走り。
ところがそれと交互に映し出される現在のサビーヌの姿の、なんという変わりよう。衝撃としかいいようがありません。体重が30㎏増えたという、体躯の重さをひきずるような動き、うつろな目、よだれ、失禁、感情をコントロールできずときおり発する奇声、乱暴。いったいどうして…!?
何がサビーヌを変えてしまったのか、それは監督自身のナレーションで説明されます。少女時代、学校では「ちょっと変わった子」としていじめの対象となっても家庭では問題があると思えなかったので両親は障がいに気づかなかった。成人した後に医者から自閉症の診断を下されます。
このときもし適切な医療ケアを受けていれば、悲劇は起きなかったしこの映画も作られなかったはずです。しかし28歳から5年間収容された精神病院で大量の薬物投与など誤った医療措置を受けたために、妹は別人になってしまったのです。その怒りが、映画を撮ろうと思った動機だそうです。
姉は政府に働きかけ、いまサビーヌが暮らすグループホームなどの障がい者施設建設を進めることができました。この施設には他の知的障がいなどのある入居者も住み、専門スタッフが毎日ケアしています。
恵まれた施設で比較的穏やかに生活しているけれど、姉の構えるカメラに向かって「サンドリーヌ、明日も、明後日も来てくれる?」と繰り返すサビーヌ。その表情に、観客ももちろんですがそれ以上に、撮影者自身がだれよりも切ない思いをかみしめているのだろうと思います。