113歳で杉並区在住(のはず)の都内最高齢者の存在が確認できない、という報道に続いて、行方不明高齢者が各所にいたことが相次いで明るみに出ています。
足立区の110歳(のはず)の男性が実は30年以上前に亡くなっていてミイラ化した遺体が発見されたときは、その異常さに好奇の関心が集まりましたが、こうなると珍しいケースではなかったということでしょうか。
昨年、区の敬老会で区長は「杉並の100歳以上の男性は36人、女性201人、合計237人。世界一の長寿国の中でもさらに長寿を誇れる自治体」と祝辞を述べていましたが、その数字の信ぴょう性が怪しくなってきました。
いつのまに現代は、人がいなくなっても死んでいても平気で放置しておくような社会になってしまったのか。
杉並だけでなく全国でこれだけ多いと、個々のケースは複数の事情が重なっているとはいえ、もはや社会問題ととらえるべきです。死亡届を出さずに遺族が手当を不正に受給していたことに都知事は声を荒げていましたが、問題の根は深刻です。不正受給が問題の本質ではない。
大阪のシングルマザーによる子どもの虐待を近隣の人たちが見逃していた事件にも、同じ根っこが見えます。見て見ぬふり、気づかぬふり。個人の自由が最優先、個人情報保護が最重要。人と関わることを避ける、逃げる。
ところが、ふたりの子の放置死を報じた新聞記事に、同じマンションの住人のうち有志約10人が「なぜ2人を助けることができなかったか」話し合うため集まることにしたのだと。住人の大半は20代だそう…。
ああよかった。自分に何ができるか考え、「できることはやる」ことを実践する人が増えれば、人と人のつながりは必ず再生できるはずだと思うから。あまりにも痛ましい事件だけに、希望が見えるのはうれしいです。…たとえ子どもの命は戻らないにせよ。