生活者ネット関連団体グループの新年会(こちら)で講師にお招きした丸浜江里子さんが主宰する「歴史をたずねる会(略してレタスの会)」の企画です。
丸浜さんが著書『原水禁署名運動の誕生—東京・杉並の住民パワーと水脈』で詳細にたどった「運動」の、ことの起こりは「第五福竜丸事件」です。このときの放射能汚染された魚をめぐって杉並の魚屋さんが声をあげ、歴史的な運動に発展していきました。
一方で「死の灰」を浴びた乗組員23人のことは、歴史の表舞台から隠されてしまいます。日米政府は結託して「政治決着」とし、被害者には治療も原爆手帳の交付もなしです。大石さんも、その後被ばく者であることを隠し東京でクリーニング業を営みます。
署名運動は3,400万人の署名を集まるほどに広がりましたが、「平和利用」としての核開発が国策として加速度的に進められていくのを停める力にはなりませんでした。むしろ「平和的に進める」推進力にすり替わってしまったのではないか、と大石さんの話を聴いて思います。そうでなければ、なぜ事件の直後から原発政策が進行することになるのでしょうか。
淀みなく整然と語る大石さんが「20種以上の薬を飲んでいる。多いときには30種以上」ときいて驚きました。初めての子どもは奇形があり死産、大石さんには嗅覚がなく、いくつもの病気を抱えているといいます。当時の乗組員の半数はすでにガンなどで亡くなっているとも。
怖ろしい実体験を自らの言葉で語り継ぐ人の存在が、3.11フクシマ後のいま、どんなに貴重なことか。それほど広くない会場が人でびっしりだったのは、主催者もあとで言っていましたが、人から人への呼びかけが広がったからだと思います。70人以上が集まったそうです。