大震災から3年 被災地のくらしと産業をたどる旅~②

 

南相馬市の被災したままになっている農家

4月の東北被災地視察2日目は、南相馬海岸線を車で走り、農業地帯へ。津波に襲われ塩をかぶったために再生不能となり、放置されたままの農地が延々と続く風景がむなしい。でも国の補助を受けて生産を再開させているイチゴ農家もあります。 

あるイチゴ生産者では、友人だという市議会議長が私たちの到着に合わせてやって来てくれ、南相馬市内の現状について話しました。 

震災後の修理が未着手のまま原発事故の影響で帰れないでいる住宅環境の整備のこと。いま住んでいる仮設住宅からの切り替えにかかわるさまざまな課題。第1原発から半径20キロ圏と30キロ圏という、引かれた境界によって生じた待遇の差のこと。 

南相馬市の高齢化率は60歳以上が43%、65歳以上は34%に上ること。帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域…などの階層7段階すべて、南相馬市だけが「みんなある」こと。放射線量の特に高いホットスポットが8部落もあること。 

とりわけ、「20キロと30キロ」の差により「もらっている者ともらっていない者」の分断が起きていることや、市内には「食べる人」が53千人も戻ってきていながら、実際には「食べられていない」不条理を語るとき、力が入りました。農産品はすべて、何重にも放射能検査を徹底して行い数値が出ていない。それなのに。福島産というだけでこの地で取れたものは今も給食に入れない――。 

若い農業者にとっては、国がすすめようとしているTPPへの参加問題が、原発被害の問題と同じくらい大きく将来に影を落としていました。それでも、生き残っていくために質の良い農産品をつくり販売先を開拓していこうと、若者同士が協力して事業を始めようと企画している、と語ってくれた夢に希望が見えました。