大震災から3年 被災地のくらしと産業をたどる旅~③
4月16日、視察3日目は、自宅のあった地域まるごと津波にさらわれた、漁協組合長の小野さんや生活クラブ生協組合員の横山さんのお話を聞きに、福島県相馬の仮設住宅を訪ねました。
ここ相馬郡新地町の小川公園内につくられた仮設住宅には、海側にあった漁師たちの地区と、それよりは山側にあった住宅地区、そして農業地区の3地域の住民たちが入居しています。もといた地域にはもう住めませんが、以前のコミュニティーでの人のつながりが継続できるように、同じ仮設住宅に入っています。今後は、かさ上げをして高台に造成される新しい土地にも同じ人たちで集団移転できるよう、計画が進められています。
小野組合長の話は単純なものではありませんでした。福島県の漁協組合員は漁ができないので、法により過去の水揚げの83%は「何もしなくても」補償金として支払われる、しかし宮城県の漁師には出ない、そのことによって生じる格差に対する複雑な思いと、試験操業で揚げた魚のセシウム値は下がっているが漁が解禁にならないもどかしさ、風評被害に負けたくない思いがにじみ出ていました。
生活クラブ組合員の横山さんは、生協活動で培った「たすけあい力」を仮設住宅の暮らしで発揮しています。そしてさらに、新たな土地でのまちづくりにおいても中心的な役割を担うことになりそうです。仮設という不便な暮らしの中にあって、仲間に声をかけてお弁当作りの事業を立ち上げ、高齢者のもとへ届ける配食サービスを行っています。
この日の昼食は、仮設住宅の近くに民家を改装し地域に開放した「おうちカフェ」で、横山さんのお弁当をいただきました。
「おうちカフェ」には、仮設住宅からお年寄りが散歩がてらコーヒーを飲みに立ち寄ったり、駄菓子屋さんコーナーをお目当てに子どもたちも来たりするそうです。横山さんの次の計画は、このような「カフェ」をほかの地にも開設すること。
家や身近な人を津波で失った喪失感はいかばかりか。それでも日々の暮らしをきちんと、人とのつながりを大事に、くらしていくことが地域を再生させる大きな力になる、という見本のような横山さんの存在に希望を見ました。