「生活保護制度は初恋の人」という感性に目からウロコ

ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)が開催するアドボカシーカフェ、513日の回は「生活保護 バッシングに抗して活用策を考える」。弁護士で生活保護問題対策全国会議代表幹事の尾藤廣喜さん(写真:左から2人目)をゲストに、コメンテーターは国際人権論や刑事政策論、国際刑事法が専門の東京経済大学講師の寺中誠さん(写真:右端)

 尾藤さんは弁護士になる前、当時の厚生省で3年間生活保護を担当し、それ以来、弁護士になってからもずっと生活保護とかかわってきたそうです。その魅力に心酔し、なんと、生活保護は「初恋の人」なんだそうです。そういう感性にとって、生活保護バッシングは耐え難いものでしょう。

 事実、「まるでその人がいわれのない批判を受けているようで…(つらい)」と。これほど「立てつけのしっかりした制度」はない、とも言い、手放しのほれ込みようです。

 また寺中さんは、「福祉」の制度としてだけ生活保護をとらえるのでなく、「人権」の制度として押さえることの重要性を説きました。「福祉」としてとらえたときの形式的平等(equality)と、「人権」としたときの実質的平等(equity)の違い。

 生活保護の持つ「剣」の力、というのは尾藤さんのいう「立てつけのしっかりした制度」と同意でしょうか。だがしかし「底が抜けたバケツ」になったときの機能不全と、日本での受給者に対するケアのしくみの貧しいことについて、厳しく指摘しました。

 憲法25条にうたわれた生存権、人権を切り口にするとこんなに、この制度が光り輝いて見える!…目からウロコの生活保護論にふれた夜でした。