50年後の慰安婦が遺した歴史証言『“記憶”と生きる』 ~教科書採択の夏に公開される意味

2次大戦中、韓国の若い女性がだまされて日本の植民地や占領地で性的行為を強要された「従軍慰安婦」。『“記憶”と生きる』は、当事者自らの語りでその過酷な真実を記録した映画です。 

 1995年前後の韓国。「ナヌムの家」というグループホームのような施設に暮らすハルモニの生活の細部を、カメラは見守るように映しとります。台所での調理、食事、市場での食糧買い出し、縫い物作業、雑談、化粧や髪染めの場面…。これを見る限りでは彼女たちの境遇はわかりません。

 しかしやがて50年以上前の記憶を語り始めます。故郷のこと、育った環境、家族、何歳のときどんなきっかけで連行されたか、どういう言葉でだまされて船に乗ったか。家族から離れて他のおおぜいの少女たちと一緒に連れて行かれた場所のこと。男の蛮行の瞬間まで「何をされるのか」知らなかったこと。

 このときのカメラはいっさい動かず技巧もなく、ただ画面いっぱいの大写しの顔の表情、刻まれたしわのすべてを見逃さないように、一人ひとりの歴史語りの証人として寄り添うようです。

 彼女たちの中には日本語で少し会話のできる人もいるし、陽気な宴会の席で日本の古い流行歌を歌う人もいます。慰安婦時代に覚えた歌がアルコールの酔いに乗って出てくるのです。50年前の記憶とともに生きることを強いられ、生きてきた彼女たち。

 従軍慰安婦のことを、かつての杉並区長が「公娼制度のもとでの職業だった」と言い、いまは引退を表明している大阪市長が「銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら必要なのは誰だって分かる」と述べるなどの暴言からわかるのは、これが政争の具、政治的イシューそのものにされてしまっているという事実です。

 であるがゆえに、中学校の歴史教科書の検定で、従軍慰安婦に関する記述について、文科省が「意見」をつけた結果、「強制連行を直接示す資料が見当たらない」という政府見解を追記せざるを得なくさせられた事例もおきました。

 この夏、各地域で中学校教科書の採択が実施されることになります。中高一貫校の設立以来ずっと、扶桑社と育鵬社という極端に右翼的な教科書を採択し続けている東京都でも、この8月末までの間に教育委員会で行われる採択から目が離せません。

 そういう時期だからこそ、彼女たちの鋭い肉声をぶつけ、彼女たちが「確かに存在した」という歴史証言を提示してくれた土井敏邦監督に感謝したい気もちです。(7月23日まで 渋谷アップリンクで上映)