5人にひとりは「近所づきあいのない」人たち、という現実
厚労省が昨年10月に発表した「人口減少社会に関する意識調査」の中の「子どもの声は騒音か」という趣旨の設問に対する回答はショックでした。このことについて前回書きましたが、ほかにも考えさせられることがありました。
たとえば、近所づきあいについての設問です。生活面で協力しあっている人が近所に「0人」と答えた人が65.6%。立ち話する程度の日常的なつきあいが「0人」は38.5%。また、あいさつ程度のつきあいですら「0人」が19.6%もいました。
約7割の人は近所の誰とも協力し合わず、立ち話もしない人は4割、そして5人にひとりは、近所のだれとも「あいさつ程度」の会話さえ交わさない…。
人はこんなにも、「近所づきあいのない」環境で暮らしているということ。その孤独。それが、前回書いた「子どもの声に寛容でない」40代女性が多いことと関係があるのかないのか。…きっとあるでしょう。ただそれがどのように関連しているのかがわかりません。
3.11大震災後のこの国は、「絆(きずな)」が大事とされ「絆」「絆」の大合唱でした。政治の課題にも「絆」が登場し、「絆」を育てようと多種多様な施策も講じられました。それが効果を挙げていないということではないでしょうか。
いま、超高齢社会に向けた最大の行政課題と言える地域包括ケアシステムにおいて、従来の自助・共助・公助に加えて「互助」を社会のしくみとして機能するよう位置つけることが重要とされます。「お互いさま」の精神で、公的なお金はかけず身近な助け合いのしくみは、杉並区内でもすでにいくつも誕生しています。
ごくわずかな会費を払って登録し、顔の見える範囲で助け合う試みが市民レベルで行われていますが、そのようなしくみが地域に網の目のように張り巡らせなければ、こぼれ落ちる人が出てきてしまいます。
またもちろん、それでも埋もれてしまう人をすくいあげるための公的な手立ては確保しなければなりません。しかしそれにしても、ご近所と最低限のあいさつも交わさない人へのアプローチは難しい…。