シニア世代の声を届けたい

荻窪駅南口で高齢者施策を訴える小松久子

コロナ禍に見舞われた昨年以降、国政も都政もコロナの対応に振り回されている状況ですが、都政の課題はコロナだけではありません。たとえば、高齢化する東京。

都内に住む65歳以上の人は現在310万人で、そのうち80歳以上の人は100万人を超えています。高齢者にとってリスクの高いコロナの感染拡大が、高齢者の命と暮らしを圧迫しています。また、医療や福祉、介護などの現場をこれまで大事にしてこなかったツケが、コロナの下であからさまになりました。

医療の現場も介護の現場も、人材不足によってひっ迫し疲弊していますが、団塊世代が75歳以上になる2025年は目前であり、いま人材を確保しなければ、誰もが安心して医療や介護を受けられる体制の整備は間に合いません。今必要なのは、介護や医療の職に就く人の社会的地位を高めること、処遇を改善すること、そして、地域の介護・福祉とつながる医療体制をつくることです。

介護保険制度ができて20年以上、課題はありつつも制度として定着してきましたが、保険料は制度発足時に比べ2倍以上になった人もいます。そもそも、要介護1・2の人たちが生活援助サービスを受けることで介護度が重くなるのを予防することにつながる、それも介護保険制度の重要な役割だったはずです。それなのに、介護度の軽い人はなるべく介護保険のサービスを使わないでください、家族が介護してください、という動きがあります。

一方、75歳以上の高齢者の医療費が来年度中に上がることはほぼ確実な状況であり、医療機関での受診を控えることにつながらないかが懸念されます。それでなくてもコロナ感染を怖れて医療控えがおきています。

これから、高齢者のひとり世帯、二人世帯の割合はさらに増えていきます。80代の親が50代の引きこもりの子の面倒をみる「8050問題」が「9060問題」に移行していく、その予兆はすでに見えています。

また、認知症になる人も増えていきます。65歳以上の高齢者の6人に1人は認知症の有病者、というデータもあります。認知症は病気なので、予防のための活動が重要ですが、絶対に避けられる方法は残念ながらありません。だれがなってもおかしくない病気です。そうであるならば、病気になっても困らないような対策がとれないか、それができれば認知症は怖くない、と私は考えます。

世田谷区には、認知症のご本人も参加してつくられた「認知症とともに生きる希望条例」があります。認知症になってもその人の意思が尊重される、認知症になっても自分らしくいられる、人としての尊厳が守られる、それが大事です。

また、元気な高齢者がアクティブに暮らしを豊かに楽しむには、地域の居場所や趣味の活動が展開される拠点がたくさん必要です。これらを支援する東京都、年をとっても安心して暮らせる東京都にしていくために、シニア世代の多様な声を都政につなげます。