活動報告
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勝利!「生活者の議席」いただきました
6月23日に行われた都議会議員選挙で小松久子が当選! 18,018票で6位に入りました。14日の告示日いらい力の限り走り続けてきた私たちに、ついに勝利の天使が下りてきました。 そう、私たち市民、生活者の勝利です。 争点のない選挙といわれましたが、私... -
2013生活者宣言! 「原発ゼロ」を都民が選択する選挙です③
東京都の高齢化の進行は待ったなしです。特にひとり暮らし、ふたり暮らしの高齢者だけの世帯が加速度的に増えていき、国は施設介護から自宅介護へと政策の重点を移していますが、それを支える地域の基盤整備は追いついていません。 学校における日の丸・... -
2013生活者宣言! 「原発ゼロ」を都民が選択する選挙です②
私が都政で取り組みたい課題のベースは、これまでの区議の活動の中にあります。10年前に区議会で初めて一般質問に採り上げたテーマは「食の安全」と「都市農業」についてでした。このふたつは、今の都政における課題でもあります。 築地市場は都民の生鮮... -
2013生活者宣言! 「原発ゼロ」を都民が選択する選挙です①
6月14日、都政という新たなステージに向けた挑戦が始まります。今回の選挙は争点がないと言われますが、私は「『原発ゼロ』を都民が選択する選挙」だと思っています。その選挙に私がなぜ挑戦するのか、ここに記しておこうと思います。 私は区議として10年... -
小松久子のこれまでの歩み⑤ ~生活クラブとの出会い~
6年間の米国生活に別れを告げ、1992年に保谷市(いまの西東京市)に移り住みました。そこで出会ったのが生活クラブです。この生協のことは以前PTA活動していたころの仲間からさんざん聞かされていて、入りたいとずっと思っていました。 当時の生活クラブ... -
小松久子のこれまでの歩み④ ~ニューヨークで考えさせられた原発事故~
日本からニューヨークに持参した荷物の中に「手作りみそセット」がありました。たいていの日本食材は現地でも手に入るのですが、みそ作りをやってみたら楽しい。おいしい。はまりました。冷凍の麹や中国産の大豆など現地で調達できる材料をいろいろ試して... -
小松久子のこれまでの歩み③ ~ニューヨークのボランティア生活~
1986年5月、連れ合いの赴任により家族5人でニューヨークに引っ越しました。チェルノブイリ原発事故がおきた2週間後です。都心から電車で40分の郊外、ハリソンという町。町の北側はユダヤ系、南側はイタリア系の移民でできたコミュニティーに、日本人家族も... -
小松久子のこれまでの歩み② ~子どもの問題と出会う~
ベトナム戦争が泥沼化した70年代。学生の政治運動が空気のようにあらゆる場所を満たしていた時期を過ぎると、自分探しをしなければ1歩も前へ進めない、という強迫観念に押しつぶされそうでした。 戦争終結の報を聞いたのは、大学を辞めて入った劇団プーク... -
小松久子のこれまでの歩み ~ボタン屋に生まれて~
私が生まれ育ったのは東京下町です。生家はボタン屋を営んでいました。一時期は両親と弟、祖父母、叔父のほかに、住込みの店員も加えて計13人の大所帯でした。ボタン屋といっても、紳士服を仕立て上げるのに必要な付属品、つまり裏地、芯地、糸など... -
5.31キラリ☆集会 たくさんの応援メッセージいただきました
はや6月、都議選の告示まで3週間を切りました。5月30日から区議会定例会が始まっていますが、31日、評論家の樋口恵子さんをお招きして開催した「キラリ☆小松久子を都政に送ろう!」集会のことを報告します。 樋口さんといえば、NPO法人「高齢社会をよくす...