ヒコーキ少年の夢またはラブストーリー『風立ちぬ』が思い出させた関東大震災

2013年9月2日 15時57分 | カテゴリー: 女性・ジェンダー, 憲法・平和・社会, 映画・オペラ・おたのしみ

暑さでぼうっとしてこのHPの更新を怠ってきましたが、9月1日は関東大震災のおきた日。90年目にあたる今年、つい最近みた映画のことを書きたくなりました。なつかしい荒井由実の「ひこうき雲」の曲に誘われて見に行ったアニメ映画『風立ちぬ』のこと。

 ひとことで言えば、空にあこがれた少年が夢を追いかける物語、ということになるでしょうか。ジブリ作品には珍しく実在した人物をモデルとし、ただし堀辰雄の小説の要素を採り入れた創作であり、国際映画祭に出品、宮崎駿監督がこれを機に引退、ということで話題になっています。 

でも戦闘機の設計に携わった経緯が物語の軸でありながら戦闘そのもの、もっといえば戦争に対する否定的視点が弱いことへの批判があるのは当然だと思うし、じっさい私も物足りなさが拭えないので、そういうことは十分承知のうえでの作品と思っても、芸術的価値とは別に「大好き」にはなれません。 

それより、9月1日を前後して公開されたことで、気がついてみれば、少年と少女が出会ってラブストーリーが始まるのが大震災の日だった、ということのほうが重要でした。描かれる震災のシーンは長くないものの印象的です。汽車が脱線し木造の町並みが一気に崩れ落ちるさま、逃げまどう人びと、飛び交う悲鳴、そして焼野原。群像をていねいに描き込むことに制作チームは相当な精力を注いだようです。 

かつて、「大震災」といえば1923年の関東大震災のことでした。その後、1995年の1.17阪神淡路大震災、2011年の3.11東日本大震災があり、大正末期の震災のことは忘れてしまっていました。それを思い出させ画像に残した功績を評価したいと思います。

 蛇足ながら――。私が「大好き」になれないもう一つの理由。それは、結核で若くして死んでしまう女性がはかなすぎてパーソナリティーが薄弱、というか存在感がないこと。『魔女の宅急便』や『千と千尋』で少女の成長と自立を謳い上げた宮崎監督がなぜ今回はこの女性観?とちょっとがっかりしてしまった、ということもあります。