この年末年始の空気には既視感がある
2021年の年明けはコロナ禍のもとで迎えました。だれも想像しなかった事態です。でもなんとなく、この空気感は覚えがある。以前にも見たことがあるような。重苦しく、素直に新年を祝う気持ちになれない感じ。コロナ正月は初めての経験なのに、この既視感は何だろう。
思い出したのは、2008年の暮れから2009年初頭にかけて社会運動となった「年越し派遣村」のことです。リーマンショックという経済悪化が引き金となって非正規雇用者の深刻な生活困窮問題が表面化したその当時から12年たち、今度はコロナ感染症のまん延がきっかけとなって、似たような状況が広がっています。
この12年間に貧困は国の政策課題となり、生活困窮者を支援する法律が定められ、さまざまなしくみが整備されてきたのは事実ですが、問題が解決に至っていないことをコロナがあぶり出しました。コロナによって新しい問題が発生したのではなく、社会の陰に潜んでいた問題が表面にむき出しになったのです。
昨年暮れに杉並区議の奥山たえこさんが「貧困問題に取り組む仲間になろう」と呼びかけてくれた提案に生活者ネットの藤田愛子、そね文子、奥田雅子たちと私も賛同し「貧困なくそう杉並」というゆるやかな活動ネットワークが立ち上がりました。食料配布と生活相談の活動を年末に高円寺、荻窪の駅前で行い、新年に西荻窪で行った街頭活動に私も参加しました。
用意したお持ち帰り用食料セットは40袋以上あったと思いますが1時間半でほぼなくなり、おどろいたのは「こういう活動に寄付したいと思っていた」と1万円札や5千円札を差し出してくれる人がいたことです。この年末年始は各地でボランティアによる食料配布と生活相談会や「大人食堂」が設置されたことが報道されていますが、このような市民の善意に政治は応えているのだろうか、と思わずにいられません。
2008年12月31日に自分が書いたもの(こちら)を読み直したら、このときも都議選を迎えるときだったのだと気がつきました。今年の都議選では「東京を生活のまちに」ということを改めて訴えていこうと思います。