市民が実体化した憲法 もう一度自分たちのものに

江橋先生の実践的前向き改憲論

自衛隊のイラク派遣がまた1年延長されることが、いともたやすく閣議決定されてしまいました。小泉傘下の自民党議員が圧倒的多数なのだから、たやすいのは当然です。先の選挙でそういう選択を国民はしたのだから。

憲法改正も現実味を帯びてきました。自民党が草案を示し、公明党との調整も順調で民主党代表は予想以上に意欲的、「早いうちに」と思って不思議はなく、来年の通常国会で国民投票手続き法案が提出されるもようです。

私はこれまで、いまの状況では現憲法死守をいくら訴えても抗う力になりえない、だからせめて9条や96条の内容が変えられぬよう、個別に賛否を問うような国民投票にすべきと考えてきました。9条の戦争放棄、96条で定めた改正手続きとしての国民投票制度、これらは手放せない価値だと思うからです。

ところが先日学習会で聞いた江橋崇さんの改憲提案は思ってもみなかった論点からでした。市民運動や人権政策に深く関わってきた憲法学者は「市民こそが政治の主人公、主権者として憲法を実体化してきた」と言います。

その著書『市民主権からの憲法理論』のなかでも「・・・アジア非戦の誓い、分節民主主義、反差別と新しい人権の保障など、この30年間に、平和の運動も、人権の運動も、地域の自治の運動も、いずれも日本国憲法の条文を否定することなく、実質的にその内容を組み替え、増補してきた」と書いています。だから書き換えでなく書き増し、増補による改正を、と提案します。

いまの改憲論争を「戦後の体制に恨みを抱く信念としての改憲派と、自らの主観的な憲法解釈を客観的・・・と考えている信念としての護憲派」の思想のぶつかりとする指摘も、これでは市民の関心が遠ざかってしまう、という心配もそのとおりだと思います。何より、改憲はもう避けられないイシューなのです。

翻訳である文章を整理し国民の「権利と義務」の「義務」は思い切って削除、上から与えられたニュアンスのある「基本的人権」はより市民の人権感覚に適合した「市民の権利」に言い換える・・・などの画期的な提案もすんなり理解できるものです。みんながこのように前向きに捉えられたらいいのに・・・。

写真・杉並ネットの事務所は区役所のすぐそば、カレー屋の2階です。