私はなぜ「市民の代理人」をめざすのか その③

生活者による自治をすすめたい


いま政治のトップリーダーたちがなぜかみな教育だ教育だといっています。しかしその中身が問題。安倍首相の最重要課題が教育改革。石原知事は日の丸・君が代の強制。山田区長も「教育立区」を掲げたのはいいけれど、全国でも有名な「変わった」歴史教科書を採択、というように、子どもが狙い撃ちにされている状況です。これが偶然でないことはもちろんわかっています。

この人たちが教育に名を借りてやろうとしているのは、子どもの現場を無視した、こうあるべきという型の押し付けです。生身の子どもを見ようとしないで作り物の枠のなかに子どもをはめ込もうとしているのではないでしょうか。

いじめも不登校も虐待も、子どもを取り巻く問題は「子どもの権利を保障する」ことなしに解決はありえない、と考え、私は議員になって以来ずっと議会でこのことをいい続けていますが、杉並区の教育管轄サイドはほとんど無視同然。

はじめは知らないのかと思っていましたが、わかっているがやる気がないらしいと気がつきました。子どもの権利とは、「どの子もその子らしく成長する」権利のこと。これをなぜ肯定できないのか、私には不思議で仕方ありません。

子どもから高齢者、あらゆる障がい者、外国人を含むすべての人の人格が尊重され、当事者の声がいきる地域社会を私はいつも意識しめざしてきました。でもどうしたらそれが実現するのか。

「自治」を進めることとセットで獲得するしかない、というのが私の考える結論です。日々のくらしの質を豊かで健やかなものにする道具が政治であり、その道具を使うのは市民であること。そういう地域のうえに、人権は確立されるのではないでしょうか。

「参画と協働」を現場に即してすすめ、地域に暮らす、生活者による自治を実現したい。だから私は「市民の代理人」として2期目の議席獲得に挑戦します。