教育長「体罰と無縁めざす」と ~区議会の代表質問より④~

2013年4月3日 01時01分 | カテゴリー: 地球温暖化と省エネ, 子どもと人権, 杉並と東京都の教育と教科書問題

井荻小の子どもたちも参加して善福寺川フォーラム後半に行われたワークショップで 2012.12/2 あんさんぶる荻窪

1月の区主催「水鳥の棲む水辺づくり」フォーラムで発表された、井荻小学校の子どもたちの環境活動。校内を流れる善福寺川について学んだことで清掃活動を始め、やがて川の周辺から善福寺公園までを活動領域に広げたこと、その活動から大人に対する提言を導き出し発信する、という報告でした。今回あらためて、これこそESDだと気がつきました。 

ESD、すなわち「持続可能な社会づくりのための教育」は、社会の課題と身近な暮らしを結びつけ、新たな価値観や行動を生み出すことを目的とし、人や社会を「教育」によって変えていくことをめざしています。 

善福寺川の清掃活動の報告でよく落ちているゴミランキングを発表する井荻小6年生

ESDは、狭い意味での環境教育というより地球規模の人権教育ととらえることこそふさわしい、と思います。いじめ、不登校、学級崩壊…など現代の子どもをとりまく問題の解決策としても有効といわれています。 

井荻小のような活動をESDと意識することで、評価の視点が生まれます。ESDを意識的に教育のテーマとして取り組んでみては、と昨年の一般質問(こちら)に続いてたずねたところ、今回ようやくESDの視点に立った学習指導を主題とする教育課題研究指定校を定めて研究を進める、との答えが返ってきました。 

また、体罰について見解を問いました。 

学校における人権侵害の中でも体罰については、社会が半ば公然と容認してきた部分があります。とくに、結果を求められる競技スポーツの世界においては、ある程度の暴力・制裁はやむを得ない、とする考え方が当たり前に存在し、むしろ指導の一環として肯定すらされてきました。 

1947年の教育基本法の下ですでに体罰は禁止されているにもかかわらず、ある種の文化、風土論に祭り上げるか、あるいは程度の問題として収めようとする論調が消えることはありませんでした。 

私自身はただの1点も体罰を肯定する気持ちにはなれませんが、体罰と競技スポーツにおける「しごき」とを同一視することは問題の本質を見失うことになると思います。体罰のない教育現場を社会全体で創りあげていくのだ、というほどの覚悟をもって、人びとが「体罰すなわち暴力であり人権侵害である」ということを深く受け止めて、「学び直す」というプロセスが必要なのではないか。 

そう考えて見解を問うた質問に対し、「教員、保護者、地域の人々がそれぞれのつながりを重視した教育を進める中で、子どもの人権の重要性について正しい認識と理解を共に深め、体罰とは無縁の教育を推進していく」と教育長が答弁したことは、深く印象に残りました。